良いものを伝えること。

町紗耶香

森びび 編集長

私はとても大きな勘違いをしていた。

「伝統的なものとか、良いものが、この世から消えていっている」
「だからなんとか残さねば」

とんだ思い上がりだったと、実感する。

伝統的なもの、良いもの。
それは一体なんだんだろうと、あらためて振り返る。

昨今はファストブランドのような量産品や添加物・遺伝子組み換え食品など、ありとあらゆるものが溢れてかえっている。
必要なもので、手に入らないというのは、とても少ない。
ほとんど、ものの数十分でほしいものが見つかる。
さらにひと昔前に比べて、WEBやスマホの普及によって、簡単に“答え”にたどり着くことができ、簡単に選択できる機会が増えた。
安易にたどり着けるようになったからこそ、悩んだり、焦がれたりといった、思いを馳せる機会というのはごっそり減ったような気もする。
その逆、手に入れた時の感動も減った。

ふと気がつけば、私の周りには“何も考えないで選んだ”もので溢れかえってきて、大切に扱うという心がすり減っていった気がする。
と、同時に、私の感性も平ぺったいのっぺりとした感覚が広がっていた。

そんな日常に嫌気がさし、「なんでこうなんだろう?」という物差しが私の中に芽生えた。
そして勉強すればするほど、自分に対して「なんでこんなものの選び方をしてたんだろう」という焦りが生まれた。
その結果が、「なんとか良きものを残さねば」という、自分自身の姿勢に対する目線ではなく、外に向けた思い上がりにつながったんだと思う。

確かに、伝統的なもの、じっくり手間暇かけられたもの、というのはひと昔前に比べて圧倒的に減っていると思う。
けれど、本当の意味では「良いものは絶対になくならない」。
その確信が、今はある。

その理由は、良いものを、伝統をつなげたい、と思う人は、誰も彼もが本気だ。ということに気がついたからだ。

残す。つなげる。というのは生半可ではない。
いくら外野が「もったいない。なんとかつなげてほしい」と、わぁわぁ言っていても、それができるのは、本気で携わっている人だけなのだ。

なくなっていくというのは、“本気”という観点がどこかしらで欠けているのだろう。
言い方を変えれば、“淘汰される”ということであり、それは自然の法則としても仕方のないことなんだと思う。

いくら腕がよくても、いくらものが良くても、そこに“応援してくれる人たち”の存在が必要不可欠だからだ。応援してもらうには、どうしても“人としての魅力”というものが欠かせない。
本気度であったり、情熱であったり、他者への信頼であったり、その一つ一つが1mmずつ積み重なって生まれてくるものだ。
その結果が、目に見えた時に、奇跡のように見えたり、幸運かのように見えたりするけれど、実は1mmずつ積み上げてきた結果にすぎない。「残さねばならない」、というのことはなく、「自ずと残っていく」のだ。
残っているものには、少しずつ積み重ねてきた努力や歩みが、ただそこにある。
人はそれに無意識下で感動して、知らず知らずに応援しているだけだろう。

だからこそ、良いものというのは、絶対になくならない。
そして良いものには、感動がともなう。
その感動を、自分の中に留めておくのがもったいない。というか、「知ってる?すごいんだよ!」と、ただただ人に教えたい。(笑)

それだけでよかったんだと、気がついた。
ああ、とんだ思い上がりに恥ずかしい気持ちでいっぱいだ。(笑)

これからも、無邪気に良いもの探しを続けて、「うふふ♡見て見て、いいでしょ」って、言っちゃおうと思う。おつきあいください。(笑)

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WRITING BY

森びび 編集長

町紗耶香

文筆家・編集者。2018年より「森あそびのまなび場」「女神の寺子屋」を主宰。季節の手仕事と、日々のごはん・味噌汁・お漬物を大切にしている。

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