ゴミについて想うこと。

町紗耶香

森びび 編集長

2月から私たちはビーチクリーンをはじめた。

ひとまず海のゴミについて改めて考えた。

海のゴミとは?
捨てる人が悪いのか?
では海のゴミって誰が捨てたのか?
無知なのか?悪意なのか?怠惰なのか?偶然なのか?知らぬ間になのか?

ゴミの声を聞けないから、「あなたがどこからどういう経緯できたの?」かなんてわからない。

そして海も、海自身がゴミを飲み込むこともある。そんな回数はないけれど高波や津波。国内外問わず。捨てる気がなくても、海が陸のものをさらって海の中に取り込む。これはどうしようもなく不可抗力だ。ゴミを捨てた人が悪いとは絶対言えない。

この世には、善悪というのがあるけれど、それはすべて個人の価値基準やその時々の社会情勢、社会体制に準ずる。

戦争の話など特にそうだ。

だから、私はゴミを拾っていても、そのゴミ自体に嘆きや悲しみは、抱けない。
ゴミってなんなんだろう?
そればかり不思議に見つめてしまう。

ただひとつ思うのは、物が溢れすぎている。そして簡単に消費しすぎてる。それは問題なのかもな、と思う。もしモノが少なければゴミはでない。モノが自然のものからできていて、土に帰るものであれば風化までに時間はかかるけれどゴミにはなりにくい。

うちの家にもいらないものは溢れてる。でも大事なものも溢れてる。もし海にさらわれたらどうしようもないゴミになるものもたくさんある。

海に捨てようが、捨てまいが、結局持っている時点で善悪は語れない気がする。

だからこそ、伝統的なものに最近より目がいく。日本の文化はすごい。かつてはいろんなモノが循環するようになっていたそうだ。江戸時代とかかな?
古き良き時代に戻りたいとか、憧れるとかじゃないけれど、改めて知る必要性、伝える必要性、考える必要性を強く感じる。

ゴミ拾い、ビーチクリーン。自分が得意とする仕事のヒントに、自分が好きなこと興味のあることのヒントにつながった。仲間がやりたい!と言わなければ、きっとゴミ拾いとかやろうなんて思えなかった。笑 そしたら、こんなことを深く考えることもなかった。

自分ひとりの力では何もできない。それってこういうことだなぁ、て思う。仲間が、友達が、本気でやりたいと、本心なんだなだぁと思えば、損得など何も考えず、自分の役割など何も考えず、お手伝いしてみたらよいのかも。

まさかの気づきが、そこにはあった。びっくりだ。日常生活の視点や幅の広がりは自分の想定外からくるのだな。

ビーチクリーンやれば面白い。色々考えずとも、ふつうに、海岸がキレイになるとスッキリ気分がよいのがよいですね(^^)

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WRITING BY

森びび 編集長

町紗耶香

文筆家・編集者。2018年より「森あそびのまなび場」「女神の寺子屋」を主宰。季節の手仕事と、日々のごはん・味噌汁・お漬物を大切にしている。

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