【手を合わせること】−−祈る姿−−

山田美由季

森びび 真理探求部

うえの書は、「和」に見えますか?「祈」に見えますか?
あえて少し紛らわしく書いてみました。この2つの字、実は最後には“イコール”の意味になるんです。今日はその秘密を紐解いていきたいと思います。

コスモスの花言葉は「調和」

まずは、「和」のおはなし・・・。

人は社会の中で生きています。社会は人がつくっています。人にはそれぞれ、心があって、想いがあります。だからなるべく皆が等しく“幸せな想い”を感じられるような社会が理想的だと思います。そこには「調和」や「和合」の精神が必要なのではないでしょうか。

日々何かを選択しながら生きているわたしたち。相手に掛ける言葉ひとつをとってみても最適なものを選ぶという作業をしています。それはなるべく相手との関係を良好に保っていたい、という思いからくるのではないでしょうか。
ということは?やはり「調和」を目標に選択しているのだと言えます。

人生において、目指すゴールや目標を見据えている人はいつでも迷いが無い。迷いが無いから、不安や恐れもない。この無情な世に生きる身でありながら、変わらず、迷いの無い選択をすることができます。それが「知恵」です。不安や迷いが無く、「楽」に生きるための知恵。知識や努力を正しく生かし、実践すると、それは「知恵」になります。

ゴール・目標を「調和」に設定してみる。
「調和」、「和合」、わ・・・・・。
では“わ”とは?少し深掘りしてみましょう。

「和」のイメージ
■人と人とのつながり(仲良く手をつないでるようなイメージ)
■循環
■終わらない、続いていくもの

私たちは、「和」を目指すと、「楽」に生きられるのかもしれません。

「和」を感じることで・・・
■人と仲良く
■循環システム=地球・宇宙の一部としての自分を意識し、感謝の念と行動を・・・
■「善き想い」を次の世代へ渡していく、つないでいく

和の国、日本。令和。
「れい=0」「わ=0」。
この時代に生きているからこそ、もう一度「和」の精神を軸にしてみましょう。
“生きる知恵”として「和」を実践していきましょう。私たち日本人にとって、それは単純でシンプルなことなのかもしれません。

「真心の愛」「愛の神託」「別離」がたんぽぽの花言葉

次は「祈」のおはなし・・・。

「祈り」・・・「いのり」・・・。
その意味とは?

「い」=いき(息)、いのち(命)
「のり」=告、法

このことから「祈り」は“生命の根源からの響き”を意味しているそうです。
そして「生きる」ということの具体的な姿は「生命の根源から息をする」ということ。つまり・・・

「いきいきと生きること」
「祈り」=「いきいきと生きること」

だと言えるのだそうです!

また「祈り」そのものが、人間の自然本能だといいます。鳥が大空を舞い、魚が水中を泳ぐことと同じように。そして「祈り」は、神さま仏さまと取引きするような“お願い”なのではなく、念力でもなく・・・。この念力が消えた時に初めて「祈り」になるのだそうです。

「祈り」は“いきいきと生きる姿”を天に向けて報告することなのかもしれませんね。

さらにその「祈り」の姿が、体の極と極にある“右手”と“左手”を体の中心に合わせるという行動であるのならば、まさに対極同士が交わる「和」の意味を持っているのではないでしょうか。

「祈り」=「生き生きと生きる」=「和」

調和の中にいると、自分の良さが発揮できます。その姿こそまさに「いきいきと生きている」姿だと思うのです。
周りの環境や人々に自分を調和させていくというのは、すべてをただ「YES」というだとか、“悪”をも受け入れるということとは違います。
例えば気が進まないお誘いや何かお断りしなくてはならない場面においても「言葉を選ぶことができる」という意味です。
「和」をもってして、言葉を選ぶのです。

手を合わせることの大切さ。

歴史に残るような大きな時代の変化も、その後には必ず「調和」がありました。
私たちは「和」を目指して変化しているのです。
「変化の目的が和」だと言ってもいいかもしれません。
私はそのことを知った時、多くの歴史から大切な真理を得ることができるのだと思いました。人がこの世で“極楽”に生きるための真理を・・・。

さぁ、今一人でいる人は両手をあわせてみてください。家族や仲間といる人は、隣の人と手を繋いでみてください。

これこそ、いきいきと生きている姿です。

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森びび 真理探求部

山田美由季

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